定年待てないオヤジの日記

こころはもう、定年後の自由生活を夢見てる、オヤジの生活日記です。

朝の散歩と新聞記事(中国で戸籍制度緩和)




最近はいつもこのフレーズになりますが、今朝も朝からすでに
気温が上昇してました。






青空が広がっていますが、気のせいか、暑さのせいか、鳥の鳴き声
もあまり聞こえない気がします。

花の色が濃くてきれいでした。

いつもの珈琲店で一休み。夏休みのシーズンに入ったためか、いつもの
平日よりお客さんが多かったです。


今朝の調整池は暑いことを除けば(今は一番大事ですが)穏やかでした。

南国風の花です。



珈琲店で読んだ新聞の小さ目の記事ですが、


中国では戸籍制度を緩和して農村から都市への移動を促進する
政策をとるようです。経済の活性化が目的のようです。
今までは、農村からの出稼ぎ労働者は戸籍を移せず(よく報道
されているのを見ましたが)、社会福祉の恩恵を受けられませ
んでしたが、変化するようです。
すでに2019年ごろから取り組み始めていたようです。ただ、
居住権を都市部に変更した出稼ぎ労働者は、農地の所有権(?)
など今までの恩恵はてばなさなければならなくなる可能性が
あるようです。
習近平政権よる国民の支持率向上策のような気もしますが、
はたして吉となるか凶となるかわからないものの、あの巨大な
中国の大きな転換点の一つなるかもしれません。
個人的には、政府の思惑とは違うかもしれませんが、国民の
自由度が増すいい方向へ進んでいる気はします。

映画鑑賞(グッドバイ、バッドマガジン&沈黙のパレード)



この暑さはいつまで続くのでしょう? 少し休憩が欲しい。


台風6号が沖縄に上陸して相当数の停電が発生しているようです。
この暑さや台風の暴風雨の中で、電気が使えないのは本当に
気の毒です。大きな災害にならなければいいですが。


TVで進路予報を見ましたが、なんで急に直角に、九州方面に
曲がるのでしょうか。太平洋高気圧が強くて、日本列島の方
には来ないはずだったのでは。また大きな災害にならなければ
いいなと心配しています。




先月観て面白かった作品です



①グッドバイ、バッドマガジンズ

身の回りの職場(少し特殊ですが)での出来事を題材としている、
決してメジャーにはならない作品ですが、割と好みのタイプの作品
で面白かったです。出演者たちも、浮いた感じもなくて違和感なく
楽しめました。これが自主製作とは。
エンドロールに流れた曲がなかなか良くて、注意してエンドロール
を見ていたら、ナギサワカリンという人のパレードという曲のよう
でした。



②沈黙のパレード

ガリレオシリーズは好きでドラマも含めていつも観ていますが、
この作品もやはり面白かったです。福山雅治が出演している
作品では、このシリーズが一番面白い気がします。
ただ、さっきまでこれを書いている時点で、細かいストーリー
や容疑者の顔が最初思い出せず、あ然としてしまいました。
面白かったけれどもインパクトが薄かったのか、それとも自分
の脳力(記憶力)が衰えたのか・・・。



明日も変わらず、暑くなるようです。

朝の散歩と雑誌記事(沢村忠を語る)



今朝も、出かけるときからすでに暑かったです。
それでも行はまだいいですが、冷房の効いた店から出て帰る
帰りはどうしても汗をかいてしまいます。
できるだけ日陰になるルートを歩きますが、自宅前400~
500Mはどうしても連続して日陰もなくて、汗だくになります。







真っ青な空が広がっていました。

いつもの珈琲店で一休み


今朝の調整池です。

見上げれば(暑さでなかなか見上げませんが)真夏の空です。

たぶん今年初めて、百日紅の花に気が付きました。



珈琲店で読んだ雑誌の記事ですが、


スポーツライターの小林信也氏の記事でキックの鬼:沢村忠について
熱く語っている記事がありました。
1968年からTBS系列で月曜日の夜7時から7時半まで放送して
いたようです。自分も当時、真剣に見ていてその迫力が好きでした。
いつもだいたいは沢村忠がスカッと勝ちますが(真空飛び膝蹴りが
多かった)、それでも本気でやっているのは伝わってきました。


プロレスファンの方には怒られるかも知れませんが、プロレスには
そこまでの本気度は、個人的には感じていませんでした。
詳しくわからず申し訳ないですが、「練習は本物、試合はエンタメ」
という考え方に同意しています。


キックボクシングの記事を読み、もう一つ思い出したのがローラー
ゲームです。これもよく見た記憶があります。テレ東の放送だった
と思います。東京ボンバーズのオノ・ヨーコ(だったでしょうか?
ジョン・レノンとは無関係)はカッコよかったです。
ローラースケートが流行り、近所の会社の駐車場(割と広くて、
コンクリートだった)でよく滑って注意されました。当時は車輪が
ゴム製ではなく、金属製でうるさかった記憶があります。