定年待てないオヤジの日記

こころはもう、定年後の自由生活を夢見てる、オヤジの生活日記です。

読書(夏物語:川上未映子)




久し振りに、リクエストした作品を読み終わりました。
出だしからつまらなくはなかったですが、100頁ぐらい
(全540頁ほど)から本格的に引き込まれて、一気に
読むことができました。こうなると読むのが至福のひと時
になります。
日常生活を描いていても、人生の問題点や社会的な問題点
(例えば精子バンク)が含まれていて、読み手を引き付ける
作品は違うと思いました。昨年の6月にヘヴンという作品も
読んでブログにもアップしました。




いろいろと面白かったところがあるなかで、少し長くなりますが、
子供を精子バンクで欲しいという主人公(夏目夏子:本名)に対
して仲の良かった、そして理解があると思っていた10歳くらい
年上の女性編集者が言う台詞です。


・・・


仙川さんが一歩足を踏みだして歩み寄った。わたしは反射的に後ずさった。
「夏子さん、あなたは作家じゃないんですか?才能があるのに。書ける人
なのに。ねえ、かけない時期っていうのは誰にもあるものなの。肝心なのは
それでも物語を捉えて離さないことです。小説のことだけを、人生を賭けて
考えてほしいの。あなたは本当に小説が書きたくて、小説家になったんじゃ
ないの」
わたしは仙川さんの丸い靴先を見つめていた。何も言うことができなかった。
「どうして子どもなんて、そのへんの女が言うようなことにこだわるの。
ねえ、しっかりしてくださいよ。夏子さん。子どもが欲しいなんて、なぜ
そんな凡庸なことを言うの。真に偉大な作家は、男も女も子どもなんかいま
せんよ。子どもなんてそんなもの入りこむ余地がないんです。自分の才能と
物語に引きずりまわされて、その引力のなかで生きていくのが作家なんだか
ら。ねえ、リカさんの言うことなんか真に受けないで。リカさんはしょせん
エンタメ作家ですよ。あの人にも、あの人の書くものにも文学的価値なんか
ないですよ。あったためしがない。誰にでも読める言葉で、手垢のついた
感情を、みんなが安心できるお話を、ただルーティンで作っているだけ。
あんなの文学じゃないわ。文学とは無縁の、あんなのは言葉を使った質の
悪いただのサービス業ですよ。でも夏子さんは違う----ねえ、いまお書きに
なってるものがどうにも動かないようならね、それはそこに、その文学の
心臓があるんです、それこそが大事なんです。すらすら書ける小説に何の
意味が? ためらわずに進んでいける道になんの意味が? ねえ、
最初から原稿を挟んで、ふたりでやってみましょうよ。だいじょうぶよ、
わたしがいるから。わたしがついている。きっとすごい作品になるもの。
わたし信じてるのよ。誰にも書けないものが、あなたには書けるって」
 仙川さんは腕を伸ばして、わたしの腕をつかもうとした。わたしは身を
よじってそれを振り払い、バッグから財布をとりだして改札をくぐった。
夏子さん、とわたしを呼ぶ仙川さんの大きな声が聞こえたけれど、わたし
はふりかえらなかった。


・・・


その後、主人公は仙川さんに会わずにいましたが、2年後くらいに仙川
さんは病気でなくなります。そして作品では仙川さんの気持ちにはふれ
られていません。いままでは、穏やかな良き理解者として登場していた
のに、この強い発言はなぜなのか。主人公に自分(結婚や子供もなく仕事
一筋的)のような道を同志として期待していたのに裏切られたと思ったの
か?あるいは、主人公のことが好き(抱きしめる場面あった)だったのか?
あんなに、主人公に絡んでいた人があっけなく退場したのが印象的でした。
手垢のついた感情という表現にはしびれました。



今日は、少し文章が長くなりました。