定年待てないオヤジの日記

こころはもう、定年後の自由生活を夢見てる、オヤジの生活日記です。

朝の散歩と新聞(プライマリーバランス黒字化)&雑誌記事(徳洲会と阿部知子先生・衆議院議員の思い出)



今日も暑くなるのはわかっていましたが、最近は暑いので散歩にも
行ってなくて、久し振りに早起きして珈琲店へいくコースで散歩に
行ってきました。





こちらのお宅は階段にもかわいい置物がいます。

快晴で、すでに暑かったです。

百日紅も咲き始めていました。

いつもの珈琲店で一休み
オリンピックは昨夜は見ずに寝てしまいましたが、体操団体、男子スケートボード、
馬術、柔道などで活躍されメダルが取れたようです。(TVニュースで知りました)

今朝の調整池です。



珈琲店で読んだ新聞記事ですが、


25年度にもプライマリーバランスが、紆余曲折はあるかもしれないが、黒字化
するかもとのことです。そうなら何十年も借金が増えていたのが解消される
すごいことだと思います。株価にも影響するかも?
今月初旬に利益確定後、指値で買いを入れていました。多分買えないな~と思う
指値でしたが株価が大きく下がり、何と買えてしまいました。だけでなくまだ
下がりマイナスになっていましたが、昨日は反動からか戻して、今日はどうも揉
み合いのようです。これから先どうなるのか気になっています。


雑誌の記事では、故徳田虎雄氏(徳洲会病院創始者)に関する記事でした。
すごく要約すると志は純粋だったが手段は択ばずだったとのこと。
徳之島出身で家族(確か仲の良かった弟さんだったか:病院に無料で置いてあった
小冊子で知りました)を医者に診てもらえず亡くしてしまい、その後
一念発起して医者になり、34才の時に大きな借金をして第1号の病院を立ち上げ
ました。年中無休・24時間オープン・付け届けは一切受け取らず(当時はある
意味画期的だったか)で経営し、強引な拡大政策をとり地元の医師会(既得権者)
と軋轢を起こし敵も多かったようです。目的のためには手段を択ばずで、
「親の死に目にあえるかどうかっていう時に、信号を守るやつがどこにいる!」
と言っていたとのこと。記事を書いた記者は効悪はあるが少し寂しくはあると
結んでいました。


個人的には横浜に住んでいた時に、子供がマイコプラズマ肺炎になり(元々喘息
でした)大和市の徳洲会病院に入院しました。建物は立派ではなかったけれども
いい病院だったと思います。
そしてお正月前に子供が小さいからと一時帰宅させてくれましたが、大晦日の夕方
だったと思いますが、担当の阿部知子先生からご丁寧な確認のご連絡をいただいて
感激した記憶があります。その後安倍先生はどこかの徳洲会病院の院長になられ、
それから社民党から立候補され衆議院議員になられ、たまにTVでも見かけるように
なりました。今は立憲民主に移られて議員活動をされているようです。
徳洲会というとこのことを思い出します。